投稿した内容をひとつにまとめました。
ひと続きの文章として読む方が文意が分かりやすいかと思って。
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オヤジギャグは時に非常に大切なものだと思います。もちろん、日常的に不快思われている方もいらっしゃることも認識しています。
例えば、誰かに何かを言って欲しい場面があります。でも、誰が何を言っても火種になりそうな、そんな場面です。そのような時にオヤジギャグのセンスが問われることになります。
どちらの味方もしない、形勢に影響を与えない。でもその場の流れはなんとなく拾っている。それでいて肯定も否定もしない、可もなく不可もない。軽くあしらわれるのは自分だけ。そんなオヤジギャグを発することのできるセンスに憧れます。
別にオヤジギャグでなくてもいいです。その場の中間をスッと通る、誰も傷つけないジョークや発言をできる大人の男になりたい。例えば映画の中の西田敏行さん。そして高田純次さんや、デーブスペクターさん。
思うに、洗練されたセンスあるオヤジギャグは、いわゆる自虐ネタとは一線を画しつつも、自分も他人も傷つけることなく、自分の腰をかがめて、周囲の全員を上にあげようとする謙譲語的な働きがあるのではないだろうか。
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結論としては、オヤジギャグが洗練されてセンスあるものであれば、謙譲語的な働きをするのではないだろうか、という話でした。
2017.3.10 him&any
©2017 him&any
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